日本の精神文化についてお話を致しております「日本に息づく心配り〜Les point
de vue de Les Misera〜」の浅海です。
先週末、所属している「ふろしき研究会」の『ふろしき包み結び指導者養成講座2017』を受講してきました。
今日と明日はこの話題をテーマにブログを書きたいと思います
2013年に入会してから毎年のように受講している指導者養成講座。
既に知りえている知識や技術も当然ありますが、それらの復習はもとより、自己の“慣れ”に気付くための時間であったり、新たな包みやアレンジの技術を習得できたり、業界の動向や旬情報の入手など、多くの学びを得られるので、講師としてのメンテナンスのため、極力受講するようにしています。

今回受講している中で、「そういえば、とても基本的なことなのに、そして一番にお伝えすべきことなのに、風呂敷講座のテキストには書いているけれども、これまでブログには書いたことがない」と気がついたことがあります。
それは、「包」と「結」について。
そこで今日は「包」についてお話ししたいと思います
風呂敷は、モノに掛けたり敷いたりして使うこともできますが、最も多用する扱いは包むことです。
「風呂敷に入れる」とは言いませんよね。
やはり風呂敷は「包」むものなのです。
「包」という字は“勹(つつみがまえ)”と“己(おのれ)”で形成されています。
『包 日本の伝統パッケージ(淡交社)』によれば、“勹(つつみがまえ)”は人が体を曲げて包む形。
そして“己(おのれ)”は腹中の子が形を作ろうとしている姿を表しており、「包」は人が懐妊して胎児が中にいる姿を象ったものであるとあります。
「包」には、文字自体に、守る、大切にするという意味が込められているのです
他に、このような説もあります。
“いつくしむ”が語源である説
“いつくしむ”はもともと「つつむ」という大和言葉からきたものである。
“美しい”が語源である説
“いつくしむ”心から包むもの。
“うつくしむ”は“うつくしい”の古語であり、“いつくしむ”の“い”が音便化したものである。
“慎む”が語源である説
奈良時代には“つつむ”と“つつしむ”という言葉には区別がなかった。
このようなことから、「包」という言葉をもって、このようにも解説されます。
- 大切に、愛おしむ心が「包」むことの本質である。
- いつくしむ心から「包」み、その形に造形美を感じるように移行したものが包むことである。
- 人を敬う心は慎む(「包」む)ことによって表現される。
大切なものは、必ず何かに包みますよね
「包」むという動作は、モノを大切に扱う所作のひとつなのです。
包むには一定の時間がかかります。
また、色や柄、素材を選びますし、包み方もTPOに合わせてアレンジします。
そうなのです。
「包」むという動作の間には、心をも包み込むのです。
だからこそ、ここにはビニールや紙袋の文化にはない、日本の精神文化が表れるのであり、これこそが、私が日本の精神文化をお伝えしていくにあたって、そのアイテムのひとつとして風呂敷を選んでいる理由のひとつなのです。
明日は風呂敷の扱いの多くに欠かせないもう一つの動作、「結」についてお話したいと思います。
明日もお付き合いいただけましたら幸いです