ルールと思いやり

本日もお疲れさまでございます。

日本の精神文化についてお話を致しております「日本に息づく心配り〜Les point de vue de Les Misera〜」の浅海です。

 

今日テレビをつけましたら、中国では今、マナー違反の多発により、自転車等のシェア事業がままならないというテーマを取り上げておりました。

シェア自転車にも関わらず、駐車違反スペースに止めたり、私物化により自宅に持ち帰り継続的に使用したり、勝手にチェーンや鍵をかけロックしてしまったり、サドルやタイヤだけ盗まれた状態で放置されていたり...ゴミ捨て場に捨てられている自転車までありました。

行政が撤去し、シェアサイクル業者へ連絡をするも、業者自体も手が回らず、ごみ溜めに自転車がたまる一方になっているとのことでした。

すごいですよね...あせる

私たち人間は一人だけで生きているのではないのに...。


元来“農耕民族”である私たち日本人は、集団で生活をすることが当たり前でした。
共に働き、苦楽を共にし、有事があれば助け合う。
このような生活文化の中では“自分さえ良ければそれで良し”という考え方は通用せず、自然と、他人を思いやる心が育まれ、節度秩序をもった行動をすることが染みつきました。

(しつけ)という漢字は国字だと言います。
この漢字は、中国からの伝来ではなく、日本で生み出された漢字であるというのです。

日本では、他を思いやる心や、ルールを守ること、秩序を持ち、節度ある行動をすること・・・こういったことが代々、日々の生活の中で躾として教え伝えられてきたのです。
そしてそれは、いつの世の中においても、とても大切なことです。

先に取り上げたシェアサイクルの件も、業者はもちろんのこと、利用者がきちんとルールを守り、他の利用者のことすら考え、利用・返却をするからこそ、サービスが成り立つのです。
どんなに便利なサービスも、秩序や思いやりなしにはその価値は半減し、長続きもしません。

 

また、番組で駐車違反スペースに自転車を止めた若い女性に、ここが駐車違反スペースであることを知っているかと尋ねると「だってみんな止めてるし、良いじゃない」と一言。
みんながやっているから良い、と考えるのは非常に稚拙ですよね。
それでは平和で心温まる、住み心地のよい社会への活路は何も見出せません。
一人ひとりが意識をすることで、世界は成り立つのですから。 

 

歩きスマホや、公共の場における大音量での会話、適さないスペースでのお化粧等々...私たち日本人の間でも“自分さえ良ければそれで良し”という思考が広がっているように見受けられます。

それでもまだ列を作り順番を守ることが自然とできる日本人。
まだできる心配りを誇りに、失いかけている心配りを取り戻したいものですね。