心配りの伝え方

本日もお疲れさまでございます。

日本の精神文化についてお話を致しております「日本に息づく心配り〜Les point de vue de Les Misera〜」の浅海です。

 

今日は夕方からさだまさしさんのコンサートに行って参りました。
そこでなされたガッツポーズのお話。

現在も日本野球機構が認める歴代最高記録本塁打【通算記録】第3位に輝いている門田博光さん。

ある時、劇的なサヨナラ本塁打を打ったにも関わらずガッツポーズをせず、喜びを前面に表現することのなかったことに対し、記者から何故かと尋ねられ、こう答えたそうです。

 

-当然だ。打たれた投手にも養わなければならない家族がいるのだから-

と...。

 

スポーツ選手のガッツポーズには賛否両論がありますよね。

 

門田選手の仰ることも一理あると思いますし、一方で、(他に見せつけるものではない)自らの感情が率直に溢れ出した表現の一つとしてのガッツポーズは見ている者の心を清らかにしてくれることさえあります。

 

ここで個人的にその賛否を論じようとは思わないのですが、このように様々に思いを巡らせ表現することも日本に息づく心配りの一つだなぁと感じたのです。

 

日本に息づく心配りには、必ずお相手(自分以外の存在)が存在します。

お相手を思いやり、寄り添う気持ち。

それが、原点です。

 

お箸使い一つをとっても、単に自分の口に食事を運ぶことができれば良いというものではなく、神、命、ご縁等に感謝し、想い、その心を表現するとともに、失礼のないようにいただくために作法があります。

 

袱紗の包み方にも慶事包みとお悔やみ包みがあり、のし袋やお札の種類から、加筆する毛筆の濃淡に至るまで、多くの表現でお相手を想う心を表現して伝えるのです。

 

 

私は、講座で必ずお伝えするように心がけていることがあります。

それは、マナーはあくまで自己表現の一つであり、楽しんで活用して欲しいということ。

 

 

もちろん、作法としてのルールが存在することもあります。

また、お相手に気持ちが伝わらなければ意味はないので、ある程度の共通指標は必要です。

 

しかしながら、例えば、

 

「メール、ありがとう。」

「メールをいただき、ありがとうございます。」

「メールをくださり、誠にありがとうございました。」

「メールを頂戴しましたことに、心よりお礼申し上げます。」


このように、“メールをもらったことに対するお礼”を表現するだけでも様々な言葉の選び方があります。
その中で、どういった表現をチョイスするかはその人の感性であり、その積み重ねで個性ができているのです。

他にも、例えば、私の主人はとてもよく家事を手伝ってくれるのですが、それは、会社の規模や収入などに関わらず、各々がひとつの会社の代表として様々なことを背負い、仕事をしているという観点から、“家のことは二人で”と考えてくれている、私のことも仕事もことも尊重してくれている、主人なりの表現です。(嗚呼、なんという幸せ❤)

一方で、さだまさしさんの“関白宣言”の歌詞にあるように、きっちり役割を分担し、相手の領域に踏み込まないことが、それぞれを尊重することであるとする夫婦(表現)もあるでしょう。

これが、コミュニティにおける感性であり、個性なのです。
どちらが正しい、間違っているというものではありません。

ですからこの度のガッツポーズについても、門田選手のような考えでガッツポーズをしないことも表現の一つ、誠心誠意戦い自然と出るガッツポーズを封印しないことも表現の一つ。
そして共通していることもただ一つ。

お相手と自身の間において、どのようにすることが一番、お相手を尊重し、想うことになるかを考え、表現するということ。

これこそがコミュニティにおける最高の心配りの表現なのです。


皆さんは、
どのような心を、
どのように表現して、
お相手にお伝えしていますか?