どうやって・・・

本日もお疲れさまでございます。

日本の精神文化についてお話を致しております「日本に息づく心配り〜Les point de vue de Les Misera〜」の浅海です。

 

言葉は、時代と共に変化します。
例えば、「させていただきます」は今や二重敬語として敬遠されるものではなく、“若者言葉”、“バイト敬語”なるものまで生み出され、もはや新語を違和感なく身につけ、使いこなすことは非常に難しいものです。

その中で、現代の若者を代表するような言葉の一つに「略語」が挙げられると思います。

“了解”と伝える時に「りょ」とだけ書くことを知って、何年も経っていないと思うのですが、今やこの「りょ」も若者の流行からは後れているらしい...。
いまや「り」だけなんだそうな。

“それってまじ?”は「そま?」で、
“受信した”は「じゅ」なんだって。

言葉を略すことは今に始まったことではなく、昔から多く生み出されてきたと思います。
でも、ここで私が気になるのは、言葉を略して使う、その理由。

数十年前は、業界用語みたいでカッコいい、とか、センスがありそう、というようなファッション的な感覚で生み出されていたように思います。
でも、今は・・・
“文字を入力して変換することが面倒くさい
からだというのです。

日本文化に限らないと思いますが、日本文化、特に私がその手段としてお伝えしているマナー・所作や、お箸使い、風呂敷の扱いというものは、“面倒だから省略する”という観点に立ってしまうと、概念を身につけることすらできません。

 

何故なら、その手間暇にこそ、お相手を、ご縁を、神さまを、想い、敬い、感謝する気持ちを包み込み、自身の心を表現するものであるからです。

そしてこの手間暇にこそ、日本文化の神髄があるのです。

 


“面倒”と思うことに対しては、人は必ず嫌悪感をいだくもの。
スマートフォンで「りょうかい」と打つことすら面倒と思う世代の若者たちに、どうやってこの手間暇をかける心配りを伝えて行ったら良いのだろう...うまく伝えていけるだろうか...今日はそんな不安に駆られました。