お箸の伝承師 RieAsami ・ 50のお箸伝え

「人と人との箸(橋)渡し」という言葉があります。
日本に古くから存在するお箸に纏わる言葉のひとつでchopsticksの箸と、bridgeの橋を架けた言葉です。
 
私たちが目の前にした食材。
そこにはお料理をしてくれた人だけではなく、新鮮な状態で手に入れられるように、数えきれないほどの人が関わってきた結果が表れているのです。
そしてその「数多」のご縁を、穢すことなく私たちの「ひとつの」口に運ぶために用いているのがお箸です。
 
たとえ今、他に誰もいない部屋で、一人ぼっちで食事をしていたとしても、実は決して「ひとりじゃない」のです。
誰かの存在で、働きで、努力で、今という瞬間を生きているのです。
お箸はそのご縁を、穢すことなくしっかり運び、知らせてくれる存在なのです。
だからこそ、ぞんざいにせず、丁寧に、心を込めて扱わなければならないのです。
 

このお箸の持つ意味を、しっかりと伝承していかなければなりません。

一生、ひとりで食事をする人はいません。
その頻度は様々あれど、人は必ず誰かしらがいる空間で食事をし、誰かしらと共に食卓を囲みます。
 
お箸使いにおける大切な柱の一つが、同じ空間にいる人々へ不快感を与えないことです。
お箸を扱う時間は、自らの一挙一動が、お相手にどのように感じられ、受け取られるのか-。
どのように振舞うことが、その時間を豊かなものにすることができるのか―。
そのように、集団における振舞い方を学び、磨き上げる場なのです。
 
つまり、お箸使いを磨くことは、広く社会に通用し、存在価値が認められるように、また、社会集団の一員であるのにふさわしいように、あるべき人となりを磨き、社会性を身に付ける、大変身近な学びの場であり、発表の場でもあります。
お箸使いを磨くことは、社会性を磨くことに大変役立つのです。

日本語には「つまむ」という単語がありますが、実は大変稀少な単語であることをご存知でしょうか。
英語にも、フランス語にも、スペイン語にも、イタリア語にも、中国語にも、韓国語にも、「つかむ」という単語はありますが、小さなものを繊細に扱う「つまむ」という単語はないのです。

この成り立ちの一つに、食文化が関係しているというお話がございます。
多くの国が、全てを食べきらないことで、もてなしてくださった方への礼を表現するなど「食べ残し(を良しとする、若しくは問題としない)文化」であるのに対して、日本は八百万の神々という考え方の下、全ての食材を食べきるべきとする「完食文化」です。
よって日本は、お米粒一粒や小さな食材の破片さえも掴む必要があり、その動作の細かさや繊細さを表現するためにこの「つまむ」という単語が存在しているのです。

そして、この「つまむ」という動作を、毎日のように、毎年何百回と行うことで、隅々まで意識を向ける日本人ならではの繊細な心配り・気配りの視野が磨かれ、指先も器用に動かすことができるようになったのです。

細く、繊細に削られた箸先。
手にフィットするように削られたり、塗られたりした持ち手。
美しく、煌びやかに磨かれ、格や用途に合わせて装飾されています。

また、その伝統的な扱い-カタ-には、無駄がなく、礼節が込められています。

美しい手の動き・所作の基本は、指を揃えて延ばすことです。
お箸を取り上げるという一つの動作にしても、指を丸く曲げて扱うか、揃えて延ばすかで、その美しさには雲泥の差が生じます。

そして美しい姿勢も伝統的なお箸使いの一環です。
怠惰に腕を休ませたり、テーブルに寄りかかったりすることをせず、骨盤を立てて座り、背筋を伸ばした姿勢は、消化をも助けます。

加えて、お箸や器を両手で丁寧に扱うという所作は、愛情表現の一つであり、見る者の心をも和ませます。

伝統的な日本のお箸は、機能性を備えた「美」の宝庫なのです。
お箸選びやお箸運びなど、お箸に纏わる一挙一動が、美的感覚を磨き、養うことに通じているのです。

食材をお箸で上手く掴めない…
お箸で掴んだ食材を口に運ぶまでに落としてしまう…
このようなお悩みをお寄せくださる方は少なくありません。
そんな時、人は手や指に力を更に加えることによって解決しようとします。
そう、所謂力づくです。

しかしながら、長期的にみればなおのこと、力づくで上手くいくことはまずありません。
お箸は余計な力を入れれば箸先がずれたり、支点のバランスが崩れますので、更に食材は掴み辛くなり、お箸の扱いも困難になります。

ここで大切なのは、
 ・二本の箸先がズレていないか
 ・二本の箸先は食材の向かい合う同じ位置に当たっているか
 ・きちんと食材の重心を捉えてから持ち上げているか
ということ。
食材の重心をしっかと捉えるべく、お箸の先の位置が重要なポイントとなるのです。

例えば手やクレーンゲームなどで取りたいものがあった場合に、指やアーム先の爪がそのモノに対して斜めにあたっていたり、急いで持ち上げたりして、モノの重心をきちんと捉えられていないと、取れなかったり、途中で落としてしまったりしますよね。
お箸の扱いも同じなのです。
例えば、下のお箸はお皿に付き、上のお箸は食材の右上にあたってお皿から浮いているような場合には、食材の重心をきちんととらえられないため、しっかりと掴むことが難しくなります。

食材の重心・肝をしっかり見極め、感じてから行動すること。
この大切さは、人とのコミュニケーション、勉強やテスト、商談など、年齢や性別を問わず、あらゆる場面において幅広く通じます。

その人の手を見ると、どのようにお箸を動かして食事をしているか、少なくとも伝統的な持ち方で扱えているか否か、ある程度想像ができます。
なぜなら、それがその人の手に表れているから。

例えば、親指と人差し指にお箸を挟んで力を入れたり抜いたりすることでお箸を扱っている方の場合、親指の付け根の筋肉が発達して、たいていぷっくりと盛りあがっています。
また、二本の指でお箸を挟んで動かしている方は、指にタコやくぼみ痕が見受けられることが多いのです。

日本人にとってお箸は、一年中、365日×1~3回扱う程身近な存在です。
しかもそれをほぼ、生きている年数分行っているのです。
当然、筋肉は自然と鍛えられますし、傷も自然なほどに身体の一部となりますよね。

指だけではありません。
食事をする数十分の間、きちんと姿勢を保てる方は、背筋や腹筋がしっかりとついているため、普段の姿勢もきれいです。
逆に言えば、食事中に姿勢を正すことは、毎日数十分×数回、美しい姿勢を保つための筋肉トレーニングができるということでもあります。

何事も一夜にしてなることはありません。
日々の積み重ねの大切さ、そして積み重ねは確実に実となることをお箸使いは教えてくれます。

お箸で食材を摘まんだり、割いたり、持ち上げたりする際に大切となる、最も基本的なことは、箸先を数字の1を描くように上下に動かすことです。

お箸を正しく持ち、箸先を揃えられたとしても、上のお箸を真っ直ぐに箸先を上げることができなければ、真っ直ぐに箸先を下げられても、箸先がクロスしてしまい、食材を扱うことはできません。
勿論その逆もしかりです。
真っ直ぐに箸先を上げられたとて、真っ直ぐに下げられなければクロス箸になってしまいます。
支点をずらすことなく、上のお箸の箸先を真っ直ぐに上げ、真っ直ぐに下ろしてこそ、食材を扱うことができるのです。

逆に言えば、それさえきちんとできれば、お箸は正しく、美しく、機能的に扱うことができるのです。
だって、もう一本の下のお箸は固定して動かさずに存在させるだけなのですから。

日本のお箸は、基本を押さえることの大切さ、基本ができていればこその容易さをも、こうして教えてくれているのです。

お箸で割いていただく必要のある大きさで、お料理が提供されることがあります。
その時、箸先をバッと大きく開き、利き手と反対の指の力も借りながら、一気に食材を割いたりしている方をお見受けします。
しかしながら、そのお箸使いは決して美しいものでも、伝統的な扱いでもございません。
また、じゃがいもや里芋など粘り気があるものや、直径5cmを超すような大きさの食材の場合には、時間を要したり、不器用に食材と戦っているような様子は、決してスマートには見えません。

正しくは、手前から少しずつ、何度かに分けて割くのです。

そもそも箸先は、二本のお箸が平行になる2~3cm程度しか開けるものではありません。
それ以上箸先を開くと、お箸にかかる指の力のバランスが崩れ、支点がずれてしまいます。
これにより、お箸を持続的に扱うこともできなり、その都度、持ち直す必要も生じるのです。

また「急ぎの文は静かに書け」「急がば回れ」ということわざにあるように、数回に分けて丁寧に扱えば、どんな食材も容易に、素早く、楚々と扱えます。
加えて、割いた時の反動でお汁を飛ばしてしまうようなこともありません。

何事も地道が一番。
一気に片付けようとせず、丁寧に順繰りに向き合うことの良さをお箸使いから体感することができるのです。

お箸置きが用意されている時には、お箸置きを使うこと。
これはお箸使いにおける一つのマナーです。

たかがお箸置き。されどお箸置き。
その素材や形、柄を選ぶにあたっては、配膳くださった方のお気持ちが表れていることを考えたことがございますでしょうか。

例えば、夏にガラス製のお箸置きが用意されていたならば、涼感を受けると同時に、暑さ厳しい中お越しくださり、ありがとうございます、どうぞごゆっくりと涼んでいってくださいといったおもてなしの心が伝わってきますよね。
そして、鶴亀のような縁起柄やにこやかに微笑む動物のお箸置きが用意されたならば、そのお箸置きが目に入った瞬間に、自らの表情も心も和むことでしょう。
このようにお箸置き一つにも、配膳くださった方のおもてなしの心が表現されるのです。

 
先方があなたに寄り添い、あなたを想い、考え、ご用意くださったせっかくのお箸置き
お相手のこころ・おもてなしはしっかりお受けしましょう。
それに、お箸置きがあると、お箸を上げ下げすることが大変容易になりますし、また、お箸を休ませるところに悩んだり、お箸置きを作ったりする必要もなく、便利でもありますよ。
お箸置きが用意されていた際には、是非ご利用くださいね。
あの人ってガサツだな~。
そう思われる大きなポイントの一つに、モノを雑に扱っているという振舞いが挙げられます。
モノを不安定に持ったり、音を立ててモノを置いたり、勢いのままモノを開けたり。
そういった振舞いは、案外無意識に表現され、自分では気がつかないものです。
 
そんな自分でありたくない!
そう思ったら、是非お箸の扱いを見直してみてください。

 ・お箸は両手で扱えていますか?
 ・お箸をお箸置きにきちんと置けていますか?
 ・音を立てるようにお箸を置いていませんか?
 
お箸を扱っている時間は、自らを見つめ直せる時間自らを磨くことのできる時間
毎食においてお箸を丁寧に扱うことで、自然と丁寧な所作も身に付きますよ。
お箸使いは、口にする数多の存在や、命・ご縁やご尽力等に対して、尊敬や感謝の念を行動で示す所作です。
しかし当然のことながら、その数多の存在やご縁を私たちは直に見ることはできません。
私たちは、目の前のお食事を通じてしか、その存在を見出すことしかできず、想像するほかないのです。
 
毎食、目に見えない存在や魂、ご縁を如何に想像し、感謝をし、想像をしながら口にする(表現する)ことができるか。
 
毎食において、想像力と表現力を同時に鍛えることで、日常においても目に見えない人の気持ちを感じ、汲みとるという能力が磨かれ、他人に心地良いと思ってもらえる振舞いが自然とできるようになるのです。
忌み箸・嫌い箸とされる 
 ・迷い箸
  どの食材にお箸を伸ばそうか、お料理の上で迷うこと。
 ・移り箸
  次はこの食材を取ろうとお箸を伸ばしながらも、他のお料理にお箸を移すこと。
 ・空箸
  一旦お箸をお料理に付けておきながらも、取らずに他のお料理にお箸を移すこと。
これらはどれも神聖なるありがたい数多の命やご縁の詰まったお食事を、心なく、ぞんざいに扱う行為であるため、決してやってはいけません。
 
例えば、先生に「次は誰に答えてもらおうかな~」なんてまるで獲物を探すように扱われたらイヤですよね。
友達と目が合って何か言いかけた瞬間に、ふとその友達にそっぽを向かれたら悲しいですよね。
誰かとの会話の途中で、お相手が他の人と話し始めたら寂しいですよね。
 
自分がされて嫌なことは、他の人や存在にもしないこと。
 
このような人となりとしての基本が、お箸使いには詰まっています。
だからこそお箸使いは人となりと言われ、躾の第一歩教育の基本と言われるのです。
握り箸やクロス箸など、どんなお箸の持ち方をされてきた方も私のほんの10~20分の指導で、正しい持ち方が理解できるようになります。
お箸の持ち方の理屈というものは、実はそれほど単純で明快なのです。
 
そんなお箸の持ち方(口ばし型に持って箸先を動かすだけ)なのに、出来ない方が存在する理由。
それは、正しく順を追ってお箸を持つということを試していないから。
 
もちろん不自由なく扱えるようになるには、正しい形(カタ)や指の筋力の定着といった不可欠な要素こそありますが、お箸は正しく順を追って持てば必ず持つことができ、そして箸先を動かすこともできるのです。
 
混乱したり分からなくなった時には原点に返り、順を追って試してみる。
 
これは人生を歩んでいくうえでとても有効な手段ですよね。
こんなことも、お箸に向き合うことで学べるのです。
お箸には、人生における特別な日、つまりハレの日に用いるお箸と、日常のケの日に用いるお箸が存在します。
 
では、ハレの日がどのような日を指すのか、ご存知でしょうか。
 
それは所謂冠婚葬祭にあたる日
 ・冠:七五三や還暦など人生の節目の日
 ・婚:結婚の日
 ・葬:ご葬儀・お葬式の日
 ・祭:お正月やお盆など一年の節目の日
です。

そうなのです。
ご葬儀・お葬式も、ハレの日にあたります。
ハレの日というと、おめでたい日という印象が強く浸透していますので、意外にお思いになる方は少なくないです。
でも、ご葬儀・お葬式の日も、日常ではなく非日常の日。
ケジメをつけ、心清らかに向かい合う日。
服装を整えたり、いただくものに気を配ったり、立居振舞いを正したり…。
そんな風にメリハリをつけて、日常とは異なる立居振舞いを行うことによって、お祝いの気持ちや、慈しむ心などを表現するのです。

振り返れば、ご葬儀の時にケのお箸の代表例である塗り箸を用いることってないですよね。
 
お箸を正しく選び、配膳し、用いること。
これをきちんと行うことは「冠婚葬祭」という日本文化の継承の一翼を担えることにもなるのです。
お箸を扱うとき、手首をテーブルの端にかけて休めていませんか?
実はその姿勢、日本における箸使いとしては、大変不躾な振舞いとなります。
なぜなら手首を休ませるという姿勢は、数多の命やご縁の詰まった神聖なお食事に対する怠惰な心のあらわれとなるから。
 
貴方だっていくら、尊敬しています!とか、ありがとうございます!と言われても、テーブルにもたれかかりながら言われたら「ウソだぁ!」って思いますよね。
それに手首を休ませると、自然と背中が丸まり、前かがみになります。
まったく美しい姿勢ではありませんし、消化にも良くありません。
試しに、手首をテーブルに休ませずにお箸を持ってみてください。
自然と背筋が伸びて、姿勢も良くなります。
 
そうです。
手首を休ませずにお箸を持つだけで、お食事をするに相応しい姿勢に近づくことができるのです。
そしてその姿勢は、あなたの気持ちを正しく伝えるにあたって必要な姿勢なのです。
 
美しいお箸使いの姿勢から、他人に感謝や尊敬の念を伝えられる、心を表現できる姿勢を学び、お食事の時間に常にその姿勢をとることで正しい姿勢を保つために必要な筋力を鍛えることができるのです。
お箸使いにはやってはいけない箸使い、所謂、嫌い箸・忌み箸と言われる
箸使いがあります。
しかしながら実はこの“やってはいけない箸使い”の呼び方や解釈には、様々な説が存在します。
 
例えば“かき箸”。
かきこみ(かっこむ)箸という解釈も、掻き(痒いところをかく)箸という解釈も、込み(いっぱいな口の中を更にお箸で押し込む)箸と一緒くたにしてしまっている解釈も、全てを共に伝えているところもあります。
 
ここで大切なのはどの説も
 ・否定をしないこと
 ・ひとつの解釈であると受け入れ、尊重すること
そして
 ・自分なりの解釈や理由をきちんと持つこと
です。
 
そもそもお箸文化は各家庭における口伝で伝えられたものであり、ある種伝言ゲームで現代に伝わってますので、途中で様々な解釈などが加わることはあって然るべきことです。
 
そしてお箸マナーの根本には、
 ・神さまや数多の命・ご縁に尊敬と感謝の念を表現すること
 ・同席する人に不快感を与えないこと
という概念がありますが、所作の流派、表現方法に違いがあるように、お箸の表現に違いが出てくることも極々自然なことなのです。
 
そこでやはり大切になってくるのは、自分の解釈・表現をしっかり持ちつつ、他者の気持ちや解釈を受け入れ、尊重し、それに柔軟に対応すること。
これは何歳になっても必要とされる人となりの要素ですよね。
お箸はこのような人となりとしての概念をも教えてくれるのです。
決まっている一汁三菜の配膳
主菜(焼き魚や、お刺身、天ぷら等の盛り合わせ)のお皿の位置は右?真ん中?左・・・?
そんな風に迷うことはおありですか?
正解は「右奥」。
これにもちゃんと理由があるのですよ。
 
大前提となるポイントは3つ。
 ・世界各国の配膳は右利き用に決まっているということ
 ・主菜のお皿は例外的に持たなくても良いお皿とされているということ
 ・右手にはお箸を持っているということ
 
もしも左奥に主菜のお皿があったら、主菜にお箸を伸ばしたときに右腕の袖がお椀等の上を通ることになるため、お粗相をしがちです。
でも右奥にあれば、右腕は配膳の右外を通ることになるため、お粗相をすることはありません。
是非試してみてください。
 
理由が分かっていれば、結論がこんがらがったり、配膳に迷うことはなくなります。
理由をきちんと知っておくことの大切さも、私たちはお箸使いから学べているのです。
割り箸の割り方なんて気にすることない。
そんなお声があることを承知しています。
 
でもね、割り箸ってね、ケの日にも使われますが
人生の節目となる大切なハレの日にも配膳されるのです。
そして格式の高いお膳では、2本が一対となった利休(利久)箸ではなく、所謂割りかけの箸である天削という種類の割り箸が配膳されることがあるのです。
なぜって…天削箸の持つ格式は最高級だから。
 
加えて美しく楚々と割り箸を割るという所作には 
 ・神さまや数多の命・ご縁等への敬意表現
 ・膳を共にする方々に不快な思いをさせない
 ・姿勢を美しく保つ
など沢山の要素が含まれているのです。
 
ですから人は割り箸の割り方によって、大人としての理性が備わっているかが問われ、手間取ったり、戸惑ったりしないために、日頃から行い、身に馴染ませ、慣れておくことも大切なのです。
人生の大半を占めるケの日に困らないからと言って、基本を粗末にしていると、大切な日にすら理性を表現できません
日々の精進の大切さをお箸は示してくれていますね。

箸先五分、長くて一寸という言葉があります。
お箸というものは、箸先五分(約1.5cm)、長くて一寸(約3cm)ほどのみを使い扱うものである、という意味を持つ言葉です。

これ実は、慣れていない人には案外大変なのです。
例えば、ちょっと深くお味噌汁椀にお箸をつけようものなら、ほっかほかのご飯をたっぷり取って口に運ぼうものなら、あっという間に一寸を超えます。

でも、ちょっと立ち止まってみてください。

お味噌汁椀に深くお箸をつけ具材を探すことはやってはいけない箸使い(さぐり箸)ですよね。それに、大口を開けて食事をしている姿は、がさつに見えることも。
決して美しくはありませんよね。
汚れた箸先は、あなたの食事法の表れ、言わば 鏡 なのです。

箸先五分、長くて一寸でお食事ができると見た目にも美しく、また所作も整います。(*)
お箸使いは正に“身”を美しくする「躾」の第一歩なのです。

(*今は5cmくらいまでは許容されていると言われています。)

日本のお箸使いには、沢山のルールやカタがあります。
お箸の持ち方や、やってはいけない箸使いをはじめ、完食する、三角食べでいただく、ご挨拶をしてからお箸を取り上げるなどです。
時には堅苦しく感じたり、おざなりにしてしまいたくなることもあるかもしれません。

でもそのすべてにそうすべきとする理由があります。
例えば
 ・神さまや先人に対する冒涜となるから
 ・数多の命やご縁など尊い存在に対して失礼にあたるから
 ・不躾であるから
など。

そしてそのすべてに、その行為を防ぐべく所作があります。
例えば
 ・先言後礼で行う
 ・両手で扱う
 ・自らがされたら嫌だと思うことをしない
など。

人生を歩んでいると様々なことがあります。
でもその全てには何かしらの理由があり、すべきでないことを避けるための道や、解決法が必ず存在する。
そう思うと、たとえどんな暗闇にいるような気がしようとも、光が見えてきますよね。

このようにお箸使いには、生きていく上での道しるべも含まれているのです。

生きていると、いろいろなことがあります。
時には落ち込んだり、悩んだりして、焦る気持ちにやきもきしたり、何も手につかない…動きたくもない…そんな日もあるものです。

そんな時こそお勧めしたいのが、お箸を丁寧に扱いながらお食事をすること。

1.
お箸を前に姿勢を正し、深く呼吸をしながらお料理に向かい合ってみてください。
目の前に並んだ食材から沢山の命や、人々との関わりを感じます。

2.
次にゆっくりと呼吸をしながら、三手でお椀のお汁をいただいてみてください。
香りやお味が五臓六腑に沁み渡り、心に温もりを感じるはずです。

3.
そして改めて呼吸を整えて、三手でお箸を取り上げ、食材を口に運び、ゆっくり咀嚼します。
生きている今を実感し、心が落ち着いてきます。

目の前のお料理に集中して、ゆっくり丁寧にお箸を扱いながらお食事をすると、不思議と心がフラットになります。
お箸使いには、心を落ち着かせてくれる効果もあるのです。
是非試してみてください。

元来割り箸は木製品の端材や、森林の間伐材で作られてきました。
(*今日は前者を取り上げます。)
 
日本は木の文化の国。
古来より日本では樽や桶、家具を始め、多くのモノを木で製作し、身近に活用してきました。
柔らかく、温もりがあり、まるで生きているかのように呼吸すら感じるこの素材は、抗菌・防虫成分を含む種類や、豊かな香りを含む種類などが存在し、その用途に合わせて多く使用され、私たちの日常に深く根付いてきました。
 
お箸は資源を余すところなく活用した、有効活用製品の原点。
様々な製品の製造工程でできた端材で作られていたものの一つが、割り箸を含むお箸なのです。
 
お箸は多角的に文化を伝え継ぎ、その成分の特徴を教え、また、もったいない精神や有効活用など、現代で言うSDGsについても様々な視点から考えさせてくれる、とてもな貴重な存在でもあるのです。
あなたの気持ちは、姿勢や佇まいに表れ
あなたの心の温もりは、食材を扱う箸使いに表れ
あなたの持っているテンポは、お箸運びの呼吸に表れ
あなたの心配りは、お箸配りに表れるのです。
 
例えば、心からのお礼を伝えたくても、「どうも」しか言葉を知らなければ…
そっぽを向いてしか話すことができなければ…
お相手に届く音量やテンポが分からなければ…
その気持ちが正しい熱量で、お相手に届くことはありません。
 
お箸使いを磨いておくことは、いざ心からの「ありがとう」の気持ちを
伝えるべき時のために
言葉や所作を身につけるようなものであり、あなたの想いをきちんと体現するために、とても必要なことなのです。

お箸選びのポイントとしてよく挙げられるのが一咫半(ひとあたはん)という長さの大切さです。

何故かというと、お箸というものはそもそもテコの原理を利用して、食材を割いたり、持ち上げたりします。よって、指先の力効率よく箸先に伝わることが大切であり、指先から箸先までの距離が大きなポイントとなるのです。
そして、その人の手の大きさにあった長さが、一咫半であるというものです。
この点については、様々な方の手やお箸使いを見てきた経験上から、私自身も大切なポイントの一つであると思っています。

しかしながら私は、それだけでは足りない!!!というのが持論です。

長さと同じくらい、いや、それ以上に大切なこと。
それは太さ質感です。

人それぞれ、お箸に対する慣れ不慣れはもちろんのこと、指の太さや長さが異なります。
同じ長さのお箸でも人によって、細身のお箸や角箸、太目の削り箸や丸箸では手に持ったときの心地良さが全く異なるのです。
また質感も、お箸を通じた触感でお食事をいただけるようになればなるほど、お箸の柔らかさ、しなやかさなどを感じるようになり、杉やヒノキ、ツゲ、竹など素材によって、お食事の味わいが変わります。

大人になって、ブカブカのスーツを着ていたらカッコ悪いですよね。
身の丈に合っていないものを身につけたり口にしている人って、中身が空っぽに見えますよね。

人となりの教育が詰まっているお箸。
身、つまり手に合ったお箸を使うことにおける見た目の美しさだけではなく、その使いやすさ心地良さ大切さをもお箸は教えてくれているのです。

お箸を手に取って扱うにあたって、とても大切なポイント。
その一つが、力を抜くことであることをご存知ですか?
 
お箸の持ち方に不安を抱えていたり、思うように食材をつまめなかったり、割けなかったりすると、懸命になり、ついつい利き手や利き腕に力を込めてしまいますよね。
 
でもそれ、実は逆効果なのです。
 
お箸というものは、肩や腕、手のひらや指(*)など
どこか一部でも力が入っていると、上手く扱えません。
お箸を上手く扱うコツは、力を抜くことなのです。
 
例えば、親指の指先に力が入れば、お箸の箸先が奥にずれ、2本のお箸の箸先を合わせることはできなくなります。
また、下のお箸を止めている薬指に力が入れば、下のお箸の箸先が手前に飛び出し、やはり箸先を合わせることはできなくなるのです。
 
力を抜くことで上手くいく場面は、公私問わず沢山ありますよね。
このようにお箸は生きる術も、指南してくれているのです。
 
*利き手の人指し指に、ほんの少し力をかける必要がある場合がございます。
お箸使いをはじめ食事においては、何故マナーやルールが存在するのか―
その理由を答えられますか?
 
その理由は、お食事が数多の命やご縁などが詰まった神聖なるお食事であるから、ということはもちろんですが、それだけではありません。
同席する方や、その空間を共にしている方々に嫌な思いをさせないため、不快感を与えないため、ということも大きな理由。
そうなのです。
心のこもった丁寧な食事所作は、自分自身のためだけでなはく、他の人のためでもあるのです。
 
 ・私たちがいただくお食事には、命を提供してくれている「他」
 ・時間や努力などを費やしてくれた「他」
 ・サービスを提供してくれた「他」
 ・技術や知識を使ってくれた「他」
 ・同じ空間に存在している「他」…
挙げればキリがないほどの「他」が存在します。
お食事の際には、その「他」の存在を大いに尊重し、感謝をし、協調ながらいただかなければなりません。

“自分だけが良ければ良い”“食材を口に運べればそれで良い”という考えではいけないのです。
自らの食事所作という振舞いによって、「他」がどう思うのかを考えることが大切。
私たちは日々のお箸使いの中で、このように他を想う思考や心を育んでいるのです。

お食事の際中に、利き手と反対の手のひらを添えること、いわゆる手盆・手皿をすることは不躾となります。
なぜなら、

1.
そもそも和食は両手でいただくのが基本であり、片手にはお皿やお椀を持っているはずなのです。


2.
大きな平皿など持たなくて良いお皿や器の場合にも、器の中でしっかり汁気を切り、涙箸をせずにいただくべきであり、手で受ける必要がないはずなのです。
 
3.
大きめの里芋など重量がありそうなものも、口元までお箸で運ぶにふさわしい大きさにお皿の中で割いてからお箸でつまみ上げるべきであり、手で受ける必要がないはずなのです。
 
4.
お箸は、沢山の命やご縁の詰まった神聖な食材を、人の手などによって穢すことなくいただくための有難い存在です。お箸でいただきながらも手で受けるなどしては本末転倒です。
 
このように何故!?しちゃいけないの!?が分かると、自ずとどうすればそうしなくて済むのかが分かり、お箸使いを磨くことができますよね。

 ・お皿は持って扱う
 ・汁気はお皿の中でしっかり切ってから口に運ぶ
 ・大きかったり、重量がありそうな食材は一口サイズにしてから口に運ぶ
 ・食材をしっかりお箸でつまんでから持ち上げる
これができると自然と姿勢は正され、箸先五分(約1.5cm)、長くて一寸(約3cm)だけでお食事を完結することができるようになり、美しく品のあるいただき方ができる大人になれますよ。

ロールモデルを持つことは、自分磨きの大きなステップです。
ロールモデルとは、自分が模範したいと思い、具体的な行動や考え方の手本とする人物のこと。
主としてキャリアプランの構築において、考えられがちなロールモデルですが、これはお箸に纏わる所作においても大切な存在と言えます。
なぜならお箸使いは、心とその表現における美の追求でもあるから。

お箸使いには
 ・神聖な存在に対する尊敬や感謝の念を如何に丁寧に表現しているかというその人自身の心持ち
はもちろんのこと
 ・視野の広さ
 ・バランス感覚
 ・対応力
 ・コミュニケーション能力
等々、様々な人となりが表れます。
故に、お箸使いの模倣は、美的感覚や考え方の模倣になるともいえるのです。

是非、ご自身がステキだなぁと憧れるお箸使いをされている方を見つけ、その方の
 ・お箸の持ち方
 ・お箸の運び方
 ・お箸の扱い方
 ・背筋から指先に至るまでの佇まい
 ・呼吸
 ・間
などを研究してみてください。
きっと最高の自分磨きができますよ。

ハレとケという言葉があります。
 
ケ(褻)とは
 ・普段のこと
 ・おおやけでないこ
 ・よそゆきでないこ
 ・日常のこと。
ケの日に用いる代表的なお箸は、漆などが塗られた塗り箸です。
 
どんなに煌びやかに装飾されたお箸も、高価な材質のお箸も、ハレの日に用いるハレの箸にはなり得ません。
なぜなら、何度も繰り返して使用するお箸だから。
神聖なるハレの箸は穢れていない、真新しいお箸であることが大前提です。
 
それでも、だからといってないがしろにせず、日常使うものだからこそと、そこに心の豊かさを求め、美しさを追究した。
だからこそ今、使うほどに心が弾むような美しいフォルムや装飾のケのお箸が沢山存在しているのです。
 
日常をないがしろにせず、美しさを追求することが、如何に人の心を豊かにするか ―
そんなことをもお箸には教えられます。
例えば、用意された座布団の位置をずらしたり動かすなどむやみやたらにモノを動かす行為は、あらゆる立居振る舞いにおいて不躾な行為となります。
なぜなら、最善・最良と考えてしつらえてくださった先方のお気持ちやお考えを、無下に、ないがしろにする行為となるからです。
このことについて、私たちはお箸の扱いからも学ぶことができていることをお気づきでしょうか。
 
例えばお食事において、並べられた配膳(お皿)の位置を動かすことは大変不躾な行為となり行うべきではありません。
なぜなら、定型のある一汁三菜はもちろんのこと、
 ・配膳には持つべきお皿を持ちやすいように
 ・持たなくて良いお皿のお料理を取りやすいように
 ・袖が引っ掛からないように
 ・三角食べがしやすいように
 ・見た目にも美しいように
など、沢山のお考えやお気持ちが込められているものです。
また盛り付けについても、一流の料理人の方であればあるほど、最も美味しくいただける順番を考えて盛り付けをしてくださっています。
 
よって、食べたいからと言ってお椀の底をさぐったり(探り箸*)、盛り付けられた下の方の食材からお箸をつけたり(こじ箸*)してはいけないのです。
お食事は、上から・左から・手前からいただかなければいけません。
 
人がご用意くださったモノ。
そこには必ず、そのモノに関わった沢山の方の想いやお考えやお気持ちが込められているということを、私たちは日々のお箸使いから、身に沁み込ませることができるのです。
そして、それを尊重し、感謝し、受け止めてようやく心が触れあい、モノを介した心のコミュニケーションが成立するのです。
 
——-
*印はやってはいけない箸使い(忌み箸・嫌い箸)にあたります。
両細(中心と比べ箸先と箸頭が共に細くなっている)の割り箸を手にすることがあるかと存じます。
片方は私たちがお料理をつまみ、口にするために用いますよね。
ではもう片方は?ー 取り箸など菜箸代わりに使う。
それは間違った扱い方であり、大変不躾な振る舞いとなります。
もう片方は、神さまがお使いになり、また、神さまや数多のご縁と私たちを繋ぐ大変神聖な箸先(頭)なのです。
 
両細の割り箸としては、高級格の利休(利久/卵中)、若しくは中級格の小判というお箸が存在します。
いずれも下級格の大衆箸ではありません。
 
ゆえに、そのお箸をご用意くださったからにはそこにその格のお箸をご用意くださった方からのもてなしの心が表現されているのです。
また、より深く、その宴席につけていることへの感謝や数多への尊敬と感謝の念を抱きながらお箸を扱うべき場面で用意されるものなのです。
 
このように、何故そう振舞わなければならないのか―
意味や理由をきちんと理解し、行動で示せてこそ大人
決してひっくり返して、菜箸代わりなどに用いたりしないようにしてくださいね。
箸使いは家庭での躾の第一歩
これは、日本に古くから存在する言葉の一つです。
この言葉の存在が、日本人がお箸を正しく(美しく)扱えないと恥ずかしいと思う理由のひとつではないでしょうか。
 
何故、お箸使いが躾の第一歩と言われるのか―
 
それはお箸使いには、数多のヒト・コト・モノに対し、尊敬の心を持ち、感謝の念を表現するということやその方法、そして、人となりとしての基本が詰まっているから。

・両手で扱う所作もその一つ
・失礼にあたる振舞いをしないこともその一つ 
・先言後礼を行うこともその一つ 
・身の丈に合うものを使うこともその一つ 
・メリハリをもって扱えることもその一つ
その他にもいろいろあります。

躾とは身を美しくすること。
中国から伝わった漢字が多い中、この躾という漢字は国字つまり日本で生まれた漢字でもあります。

日本人はお箸を通して、人としての美しさを磨くことを行ってきた民族なのです。
あなたも日々のお箸使いで、更なる自分磨きを行いませんか?
三角食べをしようね。
そう教えられてきた大人は、少なくないと思います。
三角食べとはつまり、全てのお皿のお料理をバランスよく、同じペースでいただき、食べ終わりがほぼ同じになるようにいただく食事の仕方。

この三角食べは、慣れないと案外難しいものです。
なぜなら、お膳にのった全てのお料理の味を考慮して、量やいただき方などを調整・把握しながら、お箸を運ばなければならないから。

俯瞰的に物事をとらえ、バランスを考えながら公平に対応していく―
このバランス感覚というものは、年齢を重ねれば重ねるほど、求められる場面が多くなりますし、日常のあらゆるシーンで有効であり、また必要とされますよね。

三角食べというお箸配りは、バランス感覚を磨くことのできる最適な方法。
日々のお箸配りに気をつけることで、養うことができるのです。

世の中に60以上あるとも、80以上あるとも言われている所謂忌み箸・嫌い箸と呼ばれる「やってはいけない箸使い」。
大切な方とのお食事や、かしこまった席での会食では特に
 不躾ではなかったか…
 失礼はなかったか…
 粗相はしていないか…
などと気になるものです。

しかしながら、そのような時に最も大切なことは、食べ物にも、作った人にも、感謝をしていただく、一生懸命いただくということができているかどうか。
やってはいけない箸使いというものは、どれもお料理や食器をぞんざいに、雑に扱う振舞いです。
よって、ひとつひとつのお料理をありがたくいただくという気持ちがあれば、忌み箸や食事マナーのタブーは自然と回避されます。

ひとつひとつのやってはいけない箸使いを気にする前に、まずは
沢山の命やご縁などを想い、尊敬し、感謝しながら食卓に向かえているか―
ということを心に問うてみてくださいね。

やってはいけない箸使いをしないように乳幼児に求めても無駄ですよね。
でもそれは当然のこと。
だって、尊敬する気持ち感謝の念、その表現方法なんて知りませんもの。
ましてや目の前に見えない存在に対してだなんて。

数多の存在や自分に心を寄せ、尊敬や感謝をし、それを表現できてこそ、一人前の大人。

だからこそ、ある程度の年齢になると、その基本が詰まっている箸使いで人となりを問われるのです。

モノは両手で扱うということ
見えない存在に想いを馳せるということ
尊敬や感謝の念を抱くということ…

お箸使いは、沢山の人としての振舞の基本を教え、身につけさせてくれます。
それができるということは、心も身体も成長した大人の証なのです。

日本は“敬語”に代表されるように、を重んじる文化の国です。
瞬時にお相手や場所における格の違いを判断し、言葉や座る位置、物の受け渡しの仕方などを変えることで、お相手への尊敬と感謝の念を表現します。

お箸にも、ハレの日に用いるハレの箸、お茶席で用いる茶事の箸、日常の日に用いるケの箸があり、
また割り箸にはが存在します。

食膳に用意されたお箸で、私たちはその場の格や、その膳を用意くださった方のもてなしの心を察したり、お食事をしながら尊敬や感謝の念を表現することができるのです。

お箸はというものが存在することや、その表現方法をも教えてくれる教本のような存在でもあるのです。

お料理を口に運んだら・・・
お箸を左手で受けて
右手を下から上に持ち直して
右手でお箸を箸置きに静かに休めて
そして静かに両手でお椀を置く。
鼻から抜ける食材の香りを楽しみながら―。
 
お箸使いを丁寧に行うことで、間が生まれます。
 
間は、食材の味だけではなく、そこに詰まった数多の命やご縁を感じさせてくれ、加えて食事ができていることへの感謝の気持ちが湧き出てきて、沢山の人に支えられていることを感じることができます。
 
間を味わいながら丁寧なお箸使いでいただくお食事は、心穏やかに、幸せを感じるひと時になります。
日本人にとってお箸は、人生に寄り添うように存在しています。
 
お食い初め(別名:お箸初め、箸揃え、箸祝いなど)で初めてお箸を用いて、
生きる源であるお食事を口にする儀式を行い、
それ以降、人生の伴侶との良縁を縁結び箸で願い、
夫婦になれた際には共に夫婦箸を用い、
都度の願いに合わせて厄除け箸や開運箸、福寿箸などを手に入れ、
亡くなれば偲び箸が添えられるのです。
 
日本人がこのように人生に寄り添うように、お箸を存在させるようになったのは、日本人がお箸に数多のご縁や命との繫がりを見出したからに他なりません。
 
お箸を大切に扱わなければいけない理由の一端も、ここに見出すことができますね。
一対(いっつい)、二対(につい)…や、一揃え(ひとそろえ)、二揃え(ふたそろえ)…と数えるのは、お料理の際や取り分ける際に用いる菜箸
私たちが食事をするときに用いるお箸は、一膳(いちぜん)、二膳(にぜん)…と数えます。
 
膳という漢字は、身体の部分・状態などに関する漢字を作る偏「月偏(つきへん、にくづき)」に、「善い」と書きます。
言わば 善い身体 を成す漢字なのです。
 
“食べる”という行為はとても大切です。
その際、私たちは「お箸」でつまんだり、つかんだりすることで、数多の食材、命、ご縁、人々のご尽力など穢すことなく口にでき自らの身体を、そして心を健康に保って生きることができています。
菜箸と異なり「お箸」は、私たちの身体に深く関わる存在なのです。
 
このことから学べること。それはー
ヒト・コト・モノにはそれぞれ、用途や目的、存在理由の違いがあること。
そしてそれを認識し、それぞれを尊重しながら、扱う(接する)ことの大切さをも私たちは学ぶことができています。
世界の食文化圏は3つに分けられます。
欧米諸国を代表とするフォーク・ナイフ食文化圏、インドを代表とする手食文化圏、そして私たちのような箸食文化圏。
箸食文化圏の民族は世界人口の約3割というから、決して稀な文化ではないように思えます。
 
しかしながら、韓国などではスプーンが対になって扱われますし、中国などでも蓮華はセット。
モンゴルなどではナイフを併せ持ちます。
そんな中、日本は・・・
そうです。日本(伝統的な和食膳)ではお箸だけしか用いません。
日本人は世界の中で唯一、最初から最後までおはしだけで食事を完結する文化を待つ民族なのです。
 
この結果、器も他国とは異なる形状に進化し、特有のマナーも根付き、そして、目配り・気配りの視点も進化しました。
世界でも稀な日本のお箸文化は、日本人にとって誇るべき文化なのです。
本来のお箸使いについては時折
 ・普段そんな風に(いちいち三手で)箸を扱ってなんて食べてらんないよ!
 ・居酒屋や牛丼屋でも そんな風に扱うの!?
 ・美味しく食べられればどうでも良くない!?
と怪訝な言葉を浴びます。
 
そんな人に伝えたい。
お箸使いは、基本的の心持ちの大切さと、人生を歩んでいくにあたってTPOに応じて振舞うことをも教えてくれているのだと。
 
勿論基本はあります。
命やご縁などを無下に扱うような、そして他人に不快感を与えるような忌み箸/嫌い箸は絶対に避けること。
 
その心さえ失わず、忌み箸/嫌い箸にあたらなければ、三手でお箸を取り上げなかろうが、お箸置きに置かなかろうが、ずーっとご飯茶碗を持ちながら食事を進めようが…時と場合によっては構わないというのが持論です。
 
但し、基本の振舞いというものは、きちんと身に沁みついていないと、フォーマルな会食の場に居合わせた時、恥をかく上に、人となりがなっていないことを露呈させてしまうものです。
 
もちろんこれはお箸使いに限ったことではありません。
基本をきちんと踏まえつつ、TPOに応じて所作対応できること。
お箸使いはその力が試される振舞いのひとつなのです。
「は」「し」という二つの文字が記された日本最古の書物。
それは古事記です。
 
古事記は、奈良時代に編纂された神さまのお話。
 スサノオノミコト
 クシナダヒメ
 ヤマタノオロチ…
そんな単語を示せば、ピンッとくる方も多いのではないでしょうか。
 
そんな古事記において、お箸は正にご縁結びに深くかかわる存在として登場します。
古くから現代に至るまで、神さまから俗なる我々に至るまで、様々なご縁結びの象徴、そして神聖な存在として寄り添う日本のお箸。
大切に扱わずにはいられませんよね。

日本では、箸頭を右して、配膳の一番手前にセッティングします。

これにより、私たちは命あったもの、数多の命やご縁が詰まった神聖なるものである食事と、私たち俗なる者·俗なる世界との結界を表します。

神聖なるお食事の立場と、己の立場を明確にすることで敬意を表するのです。

よって、目の前の神聖なるお食事、命やご縁に、尊敬や感謝の念を伝える「いただきます」のご挨拶の前にお箸を取り上げることは、その結界をぞんざいに扱い、神聖なる世界を犯し、命やご縁を粗末に扱うことになりますので、絶対にやってはいけないことなのです。

この根本が分かっていれば「いただきます」のご挨拶の際、やってはいけない箸使いである拝み箸をしてしまうことも自然と回避できますよね。

お箸使いは、数多の神聖なる命やご縁などに対して、尊敬と感謝の念を表現する所作。
 
私たちはその所作を通じて、大切な存在を大切に扱うということを日々身につける練習をしていることにお気づきでしょうか。

例えば…
両手で扱うということ
振り上げたり、投げるように置くなどぞんざいに扱わないということ
置くべき場所に置くということ
体裁を整えるということ呼吸を整えて扱うということ…

1日3回、食事の時間にお箸使いを丁寧に行うことで、時間やタスクに追われ、自分を見失いそうな時にでも大切な存在にはきちんと呼吸を整え、尊敬と感謝の念を持ち、敬意を持って向き合える、そんな大人になれますよ。

大人になって
お箸使いに自信がないから恥ずかしい・・・
そんな思いをしている人は少なくありません。

実際、私のお箸教室にいらっしゃる方も大半が30~40代。
若い頃は「上手く持てないんだ~💦」と笑顔でかわせたお箸使いもコミュニティが広がり、様々な環境や年齢の方々と接するようになったり、責任を持つ“立場”に就いたりすると、そうもいかなくなる。
そんなタイミングが30~40代なのだと思います。

こんな年になって今更・・・
そんなことは絶対にありません!!!

人生、遅すぎることはない

そんな言葉があるように、お箸使いも見直したいそう思ったその時があなたにとってのタイミング。
鍛錬すれば、必ずきちんと扱えるようになります。
是非ご体感ください。

お箸使いは筋トレの賜物。
正しい指筋トレ、一緒に始めましょ♬

いただきますと言葉を発する時
温かいお味噌汁に口をつけた時
つやつやのご飯が盛られたお茶碗を手に取った時
色とりどり食材をつまむ時
いただきものの調味料を口にした時
とっておきの大好物を頬張れた時
空になったお皿に向かい合った時
ごちそうさまでしたと目をつぶった時…
 
あなたの脳裏や心には、どんな人が浮かんでいますか?
どんな命を思っていますか?
どんなご縁を感じていますか?
 
例えば
泳いでいるお魚の姿・・・?
お世話や管理をし、お野菜を育ててくださる方の姿・・・?
調理してくださった方の姿・・・?
いつも脳裏に浮かぶ存在の他には、そのひと口に関係した存在はありませんか?
 
例えば
トラックに積み、運んでくださっている方。
小売店で販売してくださっている方。
店舗の電気や、冷蔵設備を作ってくださっている方々…
 
想像しだすと、本当に沢山の人や命が関わっていることにハッとしますよね。
 

食事はただ単に腹を満たすための行為ではありません。

食事を作り、運んでくれた目の前にいる人のことはもちろんのこと、目には見えない、想像するしかない、数多の命や、ご縁、時間、多くのご尽力に対して、想像し、想い、尊敬し、感謝をし、それらに生かしてもらっていることを感じる時間でもあります。

そして、その尊敬や感謝の想いを表現すること、それがお箸使いなのです。

だからこそ、お箸づかいは丁寧に、大切に行わなければなりません。

昨日よりも今日、今日よりも明日の方が、多くの命やご縁、時間や人を想うことができたら・・・
あなたの一食はより充実したものとなり、身体に染み入るでしょう。

お食事は、神様からの尊い恵みであり、沢山の存在した命、数多のご縁が詰まっています。
 
だって、お食事することなしに、私たちは生き長らえることはできませんもの。
 
大切な、大切な存在ですよね。
 
では私たちはどのようにして、その気持ちを表現するのか。
 
 
― それがお箸使いなのです。
 
 
私たちは、お食事をする際、お箸を丁寧に扱うという所作を通じて、それらへの大いなる尊敬や感謝の念を表現するのです。
 
お箸をぞんざいに扱うということは、つまりは八百万の神々や、お食事、命、ご縁を粗末に扱うということ。
 
だからこそ、お箸は丁寧に、大切に、扱わなければならないのです。

お料理の際や取り箸に用いる菜箸と、食事をするときに用いるお箸

箸は箸でも
実は全く違う存在です。

菜箸は、食材を扱うための単なる「道具」ですが、日本人にとってのお箸は、私たちが心身ともに健康でいるための源である数多の神聖なるご縁や命を、穢すことなく、私たちの身体に取り入れさせてくれます。
そして、人生に寄り添う、尊い存在です。

その証拠に菜箸は、一対、二対…や、一揃え、二揃え…と数えます。
一方でお箸は、身体の部分・状態などに関する漢字に用いられる偏「月偏(つきへん、にくづき)」 を含む漢字を用いて、一膳、二膳…と数えます。

お箸が古くから身体の一部として特別に存在してきた証でもあるのです。

お箸使いというのは、手に持ったお箸を器用に扱うこと「だけ」を指すものとお思いの方は少なくありません。

でも
そうではないのです。

お箸は、聖域と俗なる世界の結界を表していたり
数多のかけがえのない命や、ご縁を繋いでくれたり、人となりとしての振舞いを教えてくれたりする存在。

ですから“お箸使い”というのは、姿勢や態度、心持ちや振舞いなど、お箸に向かう時間の使い方全てが含まれるのです。

命と命の箸(橋)渡し」という言葉があります。
日本に古くから存在するお箸に纏わる言葉のひとつでchopsticksの箸と、bridgeの橋を架けた言葉です。

私たちは何かを食べたり、飲んだりしなければ生き長らえることはできませんが、その食材はすべて 命あるもの です。
家畜はもちろんのこと、お野菜や果物も、お米も、数多の調味料も…すべて「命あるもの」なのです。
だってそれらの食材は全て、そのまま放っておいたら傷みますよね。
それは皆、呼吸をし、生きている、「命」があるから。

その食卓に並んだ沢山の食材の命を穢すことなく、私たちのこのひとつの“口”に運んでくれるのが、お箸という存在です。
お箸は、ここに沢山の命が存在していることを教えてくれているだけではなく、私たちは自分の命だけで生きていられているわけではないことをも気づかせてくれます。

お箸は、神聖で貴重な食材の命と私たちの命を箸渡ししてくれる存在
お箸は大切に扱わなければいけないと言われる理由のひとつがここにあります。