このお箸の持つ意味を、しっかりと伝承していかなければなりません。
日本語には「つまむ」という単語がありますが、実は大変稀少な単語であることをご存知でしょうか。
英語にも、フランス語にも、スペイン語にも、イタリア語にも、中国語にも、韓国語にも、「つかむ」という単語はありますが、小さなものを繊細に扱う「つまむ」という単語はないのです。
この成り立ちの一つに、食文化が関係しているというお話がございます。
多くの国が、全てを食べきらないことで、もてなしてくださった方への礼を表現するなど「食べ残し(を良しとする、若しくは問題としない)文化」であるのに対して、日本は八百万の神々という考え方の下、全ての食材を食べきるべきとする「完食文化」です。
よって日本は、お米粒一粒や小さな食材の破片さえも掴む必要があり、その動作の細かさや繊細さを表現するためにこの「つまむ」という単語が存在しているのです。
そして、この「つまむ」という動作を、毎日のように、毎年何百回と行うことで、隅々まで意識を向ける日本人ならではの繊細な心配り・気配りの視野が磨かれ、指先も器用に動かすことができるようになったのです。
細く、繊細に削られた箸先。
手にフィットするように削られたり、塗られたりした持ち手。
美しく、煌びやかに磨かれ、格や用途に合わせて装飾されています。
また、その伝統的な扱い-カタ-には、無駄がなく、礼節が込められています。
美しい手の動き・所作の基本は、指を揃えて延ばすことです。
お箸を取り上げるという一つの動作にしても、指を丸く曲げて扱うか、揃えて延ばすかで、その美しさには雲泥の差が生じます。
そして美しい姿勢も伝統的なお箸使いの一環です。
怠惰に腕を休ませたり、テーブルに寄りかかったりすることをせず、骨盤を立てて座り、背筋を伸ばした姿勢は、消化をも助けます。
加えて、お箸や器を両手で丁寧に扱うという所作は、愛情表現の一つであり、見る者の心をも和ませます。
伝統的な日本のお箸は、機能性を備えた「美」の宝庫なのです。
お箸選びやお箸運びなど、お箸に纏わる一挙一動が、美的感覚を磨き、養うことに通じているのです。
食材をお箸で上手く掴めない…
お箸で掴んだ食材を口に運ぶまでに落としてしまう…
このようなお悩みをお寄せくださる方は少なくありません。
そんな時、人は手や指に力を更に加えることによって解決しようとします。
そう、所謂力づくです。
しかしながら、長期的にみればなおのこと、力づくで上手くいくことはまずありません。
お箸は余計な力を入れれば箸先がずれたり、支点のバランスが崩れますので、更に食材は掴み辛くなり、お箸の扱いも困難になります。
ここで大切なのは、
・二本の箸先がズレていないか
・二本の箸先は食材の向かい合う同じ位置に当たっているか
・きちんと食材の重心を捉えてから持ち上げているか
ということ。
食材の重心をしっかと捉えるべく、お箸の先の位置が重要なポイントとなるのです。
例えば手やクレーンゲームなどで取りたいものがあった場合に、指やアーム先の爪がそのモノに対して斜めにあたっていたり、急いで持ち上げたりして、モノの重心をきちんと捉えられていないと、取れなかったり、途中で落としてしまったりしますよね。
お箸の扱いも同じなのです。
例えば、下のお箸はお皿に付き、上のお箸は食材の右上にあたってお皿から浮いているような場合には、食材の重心をきちんととらえられないため、しっかりと掴むことが難しくなります。
食材の重心・肝をしっかり見極め、感じてから行動すること。
この大切さは、人とのコミュニケーション、勉強やテスト、商談など、年齢や性別を問わず、あらゆる場面において幅広く通じます。
その人の手を見ると、どのようにお箸を動かして食事をしているか、少なくとも伝統的な持ち方で扱えているか否か、ある程度想像ができます。
なぜなら、それがその人の手に表れているから。
例えば、親指と人差し指にお箸を挟んで力を入れたり抜いたりすることでお箸を扱っている方の場合、親指の付け根の筋肉が発達して、たいていぷっくりと盛りあがっています。
また、二本の指でお箸を挟んで動かしている方は、指にタコやくぼみ痕が見受けられることが多いのです。
日本人にとってお箸は、一年中、365日×1~3回扱う程身近な存在です。
しかもそれをほぼ、生きている年数分行っているのです。
当然、筋肉は自然と鍛えられますし、傷も自然なほどに身体の一部となりますよね。
指だけではありません。
食事をする数十分の間、きちんと姿勢を保てる方は、背筋や腹筋がしっかりとついているため、普段の姿勢もきれいです。
逆に言えば、食事中に姿勢を正すことは、毎日数十分×数回、美しい姿勢を保つための筋肉トレーニングができるということでもあります。
何事も一夜にしてなることはありません。
日々の積み重ねの大切さ、そして積み重ねは確実に実となることをお箸使いは教えてくれます。
お箸で食材を摘まんだり、割いたり、持ち上げたりする際に大切となる、最も基本的なことは、箸先を数字の1を描くように上下に動かすことです。
お箸を正しく持ち、箸先を揃えられたとしても、上のお箸を真っ直ぐに箸先を上げることができなければ、真っ直ぐに箸先を下げられても、箸先がクロスしてしまい、食材を扱うことはできません。
勿論その逆もしかりです。
真っ直ぐに箸先を上げられたとて、真っ直ぐに下げられなければクロス箸になってしまいます。
支点をずらすことなく、上のお箸の箸先を真っ直ぐに上げ、真っ直ぐに下ろしてこそ、食材を扱うことができるのです。
逆に言えば、それさえきちんとできれば、お箸は正しく、美しく、機能的に扱うことができるのです。
だって、もう一本の下のお箸は固定して動かさずに存在させるだけなのですから。
日本のお箸は、基本を押さえることの大切さ、基本ができていればこその容易さをも、こうして教えてくれているのです。
お箸で割いていただく必要のある大きさで、お料理が提供されることがあります。
その時、箸先をバッと大きく開き、利き手と反対の指の力も借りながら、一気に食材を割いたりしている方をお見受けします。
しかしながら、そのお箸使いは決して美しいものでも、伝統的な扱いでもございません。
また、じゃがいもや里芋など粘り気があるものや、直径5cmを超すような大きさの食材の場合には、時間を要したり、不器用に食材と戦っているような様子は、決してスマートには見えません。
正しくは、手前から少しずつ、何度かに分けて割くのです。
そもそも箸先は、二本のお箸が平行になる2~3cm程度しか開けるものではありません。
それ以上箸先を開くと、お箸にかかる指の力のバランスが崩れ、支点がずれてしまいます。
これにより、お箸を持続的に扱うこともできなり、その都度、持ち直す必要も生じるのです。
また「急ぎの文は静かに書け」「急がば回れ」ということわざにあるように、数回に分けて丁寧に扱えば、どんな食材も容易に、素早く、楚々と扱えます。
加えて、割いた時の反動でお汁を飛ばしてしまうようなこともありません。
何事も地道が一番。
一気に片付けようとせず、丁寧に順繰りに向き合うことの良さをお箸使いから体感することができるのです。
たかがお箸置き。されどお箸置き。
その素材や形、柄を選ぶにあたっては、配膳くださった方のお気持ちが表れていることを考えたことがございますでしょうか。
例えば、夏にガラス製のお箸置きが用意されていたならば、涼感を受けると同時に、暑さ厳しい中お越しくださり、ありがとうございます、どうぞごゆっくりと涼んでいってくださいといったおもてなしの心が伝わってきますよね。
そして、鶴亀のような縁起柄やにこやかに微笑む動物のお箸置きが用意されたならば、そのお箸置きが目に入った瞬間に、自らの表情も心も和むことでしょう。
このようにお箸置き一つにも、配膳くださった方のおもてなしの心が表現されるのです。
そうなのです。
ご葬儀・お葬式も、ハレの日にあたります。
ハレの日というと、おめでたい日という印象が強く浸透していますので、意外にお思いになる方は少なくないです。
でも、ご葬儀・お葬式の日も、日常ではなく非日常の日。
ケジメをつけ、心清らかに向かい合う日。
服装を整えたり、いただくものに気を配ったり、立居振舞いを正したり…。
そんな風にメリハリをつけて、日常とは異なる立居振舞いを行うことによって、お祝いの気持ちや、慈しむ心などを表現するのです。
箸先五分、長くて一寸という言葉があります。
お箸というものは、箸先五分(約1.5cm)、長くて一寸(約3cm)ほどのみを使い扱うものである、という意味を持つ言葉です。
これ実は、慣れていない人には案外大変なのです。
例えば、ちょっと深くお味噌汁椀にお箸をつけようものなら、ほっかほかのご飯をたっぷり取って口に運ぼうものなら、あっという間に一寸を超えます。
でも、ちょっと立ち止まってみてください。
お味噌汁椀に深くお箸をつけ具材を探すことはやってはいけない箸使い(さぐり箸)ですよね。それに、大口を開けて食事をしている姿は、がさつに見えることも。
決して美しくはありませんよね。
汚れた箸先は、あなたの食事法の表れ、言わば 鏡 なのです。
箸先五分、長くて一寸でお食事ができると見た目にも美しく、また所作も整います。(*)
お箸使いは正に“身”を美しくする「躾」の第一歩なのです。
(*今は5cmくらいまでは許容されていると言われています。)
日本のお箸使いには、沢山のルールやカタがあります。
お箸の持ち方や、やってはいけない箸使いをはじめ、完食する、三角食べでいただく、ご挨拶をしてからお箸を取り上げるなどです。
時には堅苦しく感じたり、おざなりにしてしまいたくなることもあるかもしれません。
でもそのすべてにそうすべきとする理由があります。
例えば
・神さまや先人に対する冒涜となるから
・数多の命やご縁など尊い存在に対して失礼にあたるから
・不躾であるから
など。
そしてそのすべてに、その行為を防ぐべく所作があります。
例えば
・先言後礼で行う
・両手で扱う
・自らがされたら嫌だと思うことをしない
など。
人生を歩んでいると様々なことがあります。
でもその全てには何かしらの理由があり、すべきでないことを避けるための道や、解決法が必ず存在する。
そう思うと、たとえどんな暗闇にいるような気がしようとも、光が見えてきますよね。
このようにお箸使いには、生きていく上での道しるべも含まれているのです。
生きていると、いろいろなことがあります。
時には落ち込んだり、悩んだりして、焦る気持ちにやきもきしたり、何も手につかない…動きたくもない…そんな日もあるものです。
そんな時こそお勧めしたいのが、お箸を丁寧に扱いながらお食事をすること。
1.
お箸を前に姿勢を正し、深く呼吸をしながらお料理に向かい合ってみてください。
目の前に並んだ食材から沢山の命や、人々との関わりを感じます。
2.
次にゆっくりと呼吸をしながら、三手でお椀のお汁をいただいてみてください。
香りやお味が五臓六腑に沁み渡り、心に温もりを感じるはずです。
3.
そして改めて呼吸を整えて、三手でお箸を取り上げ、食材を口に運び、ゆっくり咀嚼します。
生きている今を実感し、心が落ち着いてきます。
目の前のお料理に集中して、ゆっくり丁寧にお箸を扱いながらお食事をすると、不思議と心がフラットになります。
お箸使いには、心を落ち着かせてくれる効果もあるのです。
是非試してみてください。
お箸選びのポイントとしてよく挙げられるのが一咫半(ひとあたはん)という長さの大切さです。
何故かというと、お箸というものはそもそもテコの原理を利用して、食材を割いたり、持ち上げたりします。よって、指先の力が効率よく箸先に伝わることが大切であり、指先から箸先までの距離が大きなポイントとなるのです。
そして、その人の手の大きさにあった長さが、一咫半であるというものです。
この点については、様々な方の手やお箸使いを見てきた経験上から、私自身も大切なポイントの一つであると思っています。
しかしながら私は、それだけでは足りない!!!というのが持論です。
長さと同じくらい、いや、それ以上に大切なこと。
それは太さや質感です。
人それぞれ、お箸に対する慣れ不慣れはもちろんのこと、指の太さや長さが異なります。
同じ長さのお箸でも人によって、細身のお箸や角箸、太目の削り箸や丸箸では手に持ったときの心地良さが全く異なるのです。
また質感も、お箸を通じた触感でお食事をいただけるようになればなるほど、お箸の柔らかさ、しなやかさなどを感じるようになり、杉やヒノキ、ツゲ、竹など素材によって、お食事の味わいが変わります。
大人になって、ブカブカのスーツを着ていたらカッコ悪いですよね。
身の丈に合っていないものを身につけたり口にしている人って、中身が空っぽに見えますよね。
人となりの教育が詰まっているお箸。
身、つまり手に合ったお箸を使うことにおける見た目の美しさだけではなく、その使いやすさや心地良さ、大切さをもお箸は教えてくれているのです。
“自分だけが良ければ良い”“食材を口に運べればそれで良い”という考えではいけないのです。
自らの食事所作という振舞いによって、「他」がどう思うのかを考えることが大切。
私たちは日々のお箸使いの中で、このように他を想う思考や心を育んでいるのです。
1.
そもそも和食は両手でいただくのが基本であり、片手にはお皿やお椀を持っているはずなのです。
・お皿は持って扱う
・汁気はお皿の中でしっかり切ってから口に運ぶ
・大きかったり、重量がありそうな食材は一口サイズにしてから口に運ぶ
・食材をしっかりお箸でつまんでから持ち上げる
これができると自然と姿勢は正され、箸先五分(約1.5cm)、長くて一寸(約3cm)だけでお食事を完結することができるようになり、美しく品のあるいただき方ができる大人になれますよ。
お箸使いには
・神聖な存在に対する尊敬や感謝の念を如何に丁寧に表現しているかというその人自身の心持ち
はもちろんのこと
・視野の広さ
・バランス感覚
・対応力
・コミュニケーション能力
等々、様々な人となりが表れます。
故に、お箸使いの模倣は、美的感覚や考え方の模倣になるともいえるのです。
是非、ご自身がステキだなぁと憧れるお箸使いをされている方を見つけ、その方の
・お箸の持ち方
・お箸の運び方
・お箸の扱い方
・背筋から指先に至るまでの佇まい
・呼吸
・間
などを研究してみてください。
きっと最高の自分磨きができますよ。
・両手で扱う所作もその一つ
・失礼にあたる振舞いをしないこともその一つ
・先言後礼を行うこともその一つ
・身の丈に合うものを使うこともその一つ
・メリハリをもって扱えることもその一つ
その他にもいろいろあります。
躾とは身を美しくすること。
中国から伝わった漢字が多い中、この躾という漢字は国字つまり日本で生まれた漢字でもあります。
この三角食べは、慣れないと案外難しいものです。
なぜなら、お膳にのった全てのお料理の味を考慮して、量やいただき方などを調整・把握しながら、お箸を運ばなければならないから。
俯瞰的に物事をとらえ、バランスを考えながら公平に対応していく―
このバランス感覚というものは、年齢を重ねれば重ねるほど、求められる場面が多くなりますし、日常のあらゆるシーンで有効であり、また必要とされますよね。
三角食べというお箸配りは、バランス感覚を磨くことのできる最適な方法。
日々のお箸配りに気をつけることで、養うことができるのです。
世の中に60以上あるとも、80以上あるとも言われている所謂忌み箸・嫌い箸と呼ばれる「やってはいけない箸使い」。
大切な方とのお食事や、かしこまった席での会食では特に
不躾ではなかったか…
失礼はなかったか…
粗相はしていないか…
などと気になるものです。
しかしながら、そのような時に最も大切なことは、食べ物にも、作った人にも、感謝をしていただく、一生懸命いただくということができているかどうか。
やってはいけない箸使いというものは、どれもお料理や食器をぞんざいに、雑に扱う振舞いです。
よって、ひとつひとつのお料理をありがたくいただくという気持ちがあれば、忌み箸や食事マナーのタブーは自然と回避されます。
ひとつひとつのやってはいけない箸使いを気にする前に、まずは
沢山の命やご縁などを想い、尊敬し、感謝しながら食卓に向かえているか―
ということを心に問うてみてくださいね。
やってはいけない箸使いをしないように乳幼児に求めても無駄ですよね。
でもそれは当然のこと。
だって、尊敬する気持ちや感謝の念、その表現方法なんて知りませんもの。
ましてや目の前に見えない存在に対してだなんて。
数多の存在や自分に心を寄せ、尊敬や感謝をし、それを表現できてこそ、一人前の大人。
だからこそ、ある程度の年齢になると、その基本が詰まっている箸使いで人となりを問われるのです。
モノは両手で扱うということ
見えない存在に想いを馳せるということ
尊敬や感謝の念を抱くということ…
お箸使いは、沢山の人としての振舞の基本を教え、身につけさせてくれます。
それができるということは、心も身体も成長した大人の証なのです。
日本は“敬語”に代表されるように、格を重んじる文化の国です。
瞬時にお相手や場所における格の違いを判断し、言葉や座る位置、物の受け渡しの仕方などを変えることで、お相手への尊敬と感謝の念を表現します。
お箸にも、ハレの日に用いるハレの箸、お茶席で用いる茶事の箸、日常の日に用いるケの箸があり、
また割り箸には格が存在します。
食膳に用意されたお箸で、私たちはその場の格や、その膳を用意くださった方のもてなしの心を察したり、お食事をしながら尊敬や感謝の念を表現することができるのです。
お箸は格というものが存在することや、その表現方法をも教えてくれる教本のような存在でもあるのです。
日本では、箸頭を右して、配膳の一番手前にセッティングします。
これにより、私たちは命あったもの、数多の命やご縁が詰まった神聖なるものである食事と、私たち俗なる者·俗なる世界との結界を表します。
神聖なるお食事の立場と、己の立場を明確にすることで敬意を表するのです。
よって、目の前の神聖なるお食事、命やご縁に、尊敬や感謝の念を伝える「いただきます」のご挨拶の前にお箸を取り上げることは、その結界をぞんざいに扱い、神聖なる世界を犯し、命やご縁を粗末に扱うことになりますので、絶対にやってはいけないことなのです。
この根本が分かっていれば「いただきます」のご挨拶の際、やってはいけない箸使いである拝み箸をしてしまうことも自然と回避できますよね。
例えば…
両手で扱うということ
振り上げたり、投げるように置くなどぞんざいに扱わないということ
置くべき場所に置くということ
体裁を整えるということ呼吸を整えて扱うということ…
1日3回、食事の時間にお箸使いを丁寧に行うことで、時間やタスクに追われ、自分を見失いそうな時にでも大切な存在にはきちんと呼吸を整え、尊敬と感謝の念を持ち、敬意を持って向き合える、そんな大人になれますよ。
大人になって
お箸使いに自信がないから恥ずかしい・・・
そんな思いをしている人は少なくありません。
実際、私のお箸教室にいらっしゃる方も大半が30~40代。
若い頃は「上手く持てないんだ~💦」と笑顔でかわせたお箸使いもコミュニティが広がり、様々な環境や年齢の方々と接するようになったり、責任を持つ“立場”に就いたりすると、そうもいかなくなる。
そんなタイミングが30~40代なのだと思います。
こんな年になって今更・・・
そんなことは絶対にありません!!!
人生、遅すぎることはない
そんな言葉があるように、お箸使いも見直したいそう思ったその時があなたにとってのタイミング。
鍛錬すれば、必ずきちんと扱えるようになります。
是非ご体感ください。
お箸使いは筋トレの賜物。
正しい指筋トレ、一緒に始めましょ♬
食事はただ単に腹を満たすための行為ではありません。
食事を作り、運んでくれた目の前にいる人のことはもちろんのこと、目には見えない、想像するしかない、数多の命や、ご縁、時間、多くのご尽力に対して、想像し、想い、尊敬し、感謝をし、それらに生かしてもらっていることを感じる時間でもあります。
そして、その尊敬や感謝の想いを表現すること、それがお箸使いなのです。
だからこそ、お箸づかいは丁寧に、大切に行わなければなりません。
昨日よりも今日、今日よりも明日の方が、多くの命やご縁、時間や人を想うことができたら・・・
あなたの一食はより充実したものとなり、身体に染み入るでしょう。
お料理の際や取り箸に用いる菜箸と、食事をするときに用いるお箸。
箸は箸でも
実は全く違う存在です。
菜箸は、食材を扱うための単なる「道具」ですが、日本人にとってのお箸は、私たちが心身ともに健康でいるための源である数多の神聖なるご縁や命を、穢すことなく、私たちの身体に取り入れさせてくれます。
そして、人生に寄り添う、尊い存在です。
その証拠に菜箸は、一対、二対…や、一揃え、二揃え…と数えます。
一方でお箸は、身体の部分・状態などに関する漢字に用いられる偏「月偏(つきへん、にくづき)」 を含む漢字を用いて、一膳、二膳…と数えます。
お箸が古くから身体の一部として特別に存在してきた証でもあるのです。
お箸使いというのは、手に持ったお箸を器用に扱うこと「だけ」を指すものとお思いの方は少なくありません。
でも
そうではないのです。
お箸は、聖域と俗なる世界の結界を表していたり
数多のかけがえのない命や、ご縁を繋いでくれたり、人となりとしての振舞いを教えてくれたりする存在。
ですから“お箸使い”というのは、姿勢や態度、心持ちや振舞いなど、お箸に向かう時間の使い方全てが含まれるのです。
「命と命の箸(橋)渡し」という言葉があります。
日本に古くから存在するお箸に纏わる言葉のひとつでchopsticksの箸と、bridgeの橋を架けた言葉です。
私たちは何かを食べたり、飲んだりしなければ生き長らえることはできませんが、その食材はすべて 命あるもの です。
家畜はもちろんのこと、お野菜や果物も、お米も、数多の調味料も…すべて「命あるもの」なのです。
だってそれらの食材は全て、そのまま放っておいたら傷みますよね。
それは皆、呼吸をし、生きている、「命」があるから。
その食卓に並んだ沢山の食材の命を穢すことなく、私たちのこのひとつの“口”に運んでくれるのが、お箸という存在です。
お箸は、ここに沢山の命が存在していることを教えてくれているだけではなく、私たちは自分の命だけで生きていられているわけではないことをも気づかせてくれます。
お箸は、神聖で貴重な食材の命と私たちの命を箸渡ししてくれる存在。
お箸は大切に扱わなければいけないと言われる理由のひとつがここにあります。