私が『お箸』や『風呂敷』を通じた『日本に息づく素晴らしい心配り』の伝承で目指しているのは、いじめも自殺も犯罪も戦争もない、心配りや思いやりにあふれた、ぬくもりある平和な世界です。
SDGs 16番目の「平和」が、私の活動の一番の目的なのです。
『お箸』を大切に、きちんと扱うことは、神さまはもちろんのこと、神聖なお食事や、数多の命、ご縁などの存在を感じ、尊敬と感謝の念を持って、その気持ちを表現することです。
一日に数回、存在を脳裏に浮かべながら、お箸を丁寧に扱い、大切にお食事をいただくことをすれば、おのずと「他を想う心」が育まれ、“自分だけが良ければ良い”という考えではなく、「他」もひとつの大切な存在として尊重できるようになりますし、多くに尊敬と感謝の念を抱くことは、ひいては自らの存在についても、自らだけのものではなく、多くの人生や命によって支えられていること、だからこそ大切にするべきであるとお思いいただけるのです。
世界中の人々が自分も他も大切に尊重することができ、尊敬と感謝の念を抱けるようになれば、絶対に世界は平和に、そして公正に至れると信じています。
そして『風呂敷』で包み結ぶことは、ヒト・コト・モノを大切に想い扱う気持ちや、そこに込めたこころを体現することです。
包み込むモノには必ず目的や思い入れが込められています。そしてその素材選びや包み方にもTPOを意識した考えが込められ、結ぶことで自らの気持ちを固く繋いで表現します。
加えて、色彩溢れた風呂敷は人の目にも心にも優しく彩りを与え、柔らかでぬくもりある素材は人の心を和ませます。
寒さをしのぐことも、生きるための水を運ぶことも、汚れを隠すことも、埃を避けることもできる風呂敷。アイデア次第で使い勝手は無限大です。
そして延いては自己表現にすらなります。
風呂敷を使えば、たとえ言葉を発しなくても、想いを伝い合うことができます。
そして、表現された他のこころに想いを馳せること、それができる人を増やすことは、世界の平和・公正への欠かせない一歩だと思うのです。
この想いを胸に、今日も丁寧に、伝承していきたいと思います。
SDGs 17番目の「パートナーシップで目標を達成しよう」は、私が正に皆さんに働きかけていることです。
それは『口伝』、所謂『口伝え』と、その協力のお願いです。
この『口伝え』文化は、お箸と風呂敷の伝承の基本です。
しかしながらこの『口伝え』が上手くいかなかった結果が、今のお箸や風呂敷文化の衰退、ひいては殺伐とした世の中に表れてしまっています。
ではなぜ『口伝』が上手くいかなかったのか…。
その最も大きな理由は“何故?”という部分を踏まえて伝えられなかったからであると考えています。
人は何事も、理由が分からなければ、興味を持てません。
人は何事も、意義が分からなければ、磨こうとする意欲がわきません。
人は何事も、その素晴らしさを実感しなければ、伝承したいとは思いません。
何故お箸はきれいに持たなければならないのか、何故箸使いは子どもの頃から躾けられ、人となりを表すとまで言われるのか。
何故風呂敷は活用され、何度もその存在が見直されるのか。
そういった所謂“基本”をしっかりお伝えすることが、私の大切な役割であると思っております。
まずは私が、今回のような映像やSNS、講演や講座、ワークショップを通して、一人でも多くの方に知識や情報などをお届けすることが大切。
そして、それを見たり、聞いたり、体験くださった方が、そこに込められた心とその表現を踏まえて、更に広めてくだされば、それは正に口伝伝承の成立であり、その積み重ねが、私の目指す「心配りにあふれたぬくもりある平和な世界」に繋がると思っております。
私の活動の目標は一人では成し得ません。
是非とも一人でも多くの方に身近な方への「口伝」伝承へのご協力をいただけましたら幸いに存じます。
私は一番大切な教育は「こころ」の教育だと思っています。
いくら知識が豊富でも、試験問題を解くのが得意でも、それだけではぬくもり溢れる平和な世界にはなりません。
それらは時として、使い様によって、人を傷つけたり、人の命を脅かしたりします。
知識や情報、ノウハウは、自分と他人、両者を想って、両者のために、幅広く使って、ようやくその価値が発揮されるのです。
そうです。ここに欠かせない要素が「思いやり」であり、また「心配り」なのです。
しかしながら、この「思いやり」や「心配り」を教育に組み込むことは、なかなか難しいのではないでしょうか。
目に見えないものですし、数値化することが極めてこんなんですから。
そのような中、「お箸」や「風呂敷」では、確実に心を育くめます。
心は「所作」として立ち居振る舞いに表れ、そこに必ず存在する“間”や、空間、空気感にも表れるからです。
加えて丁寧に扱うことは心を豊かにします。
そしてすべてに尊敬と感謝の念を抱き、それを表現することは、とても大切な自己形成とコミュニケーション社会の根幹の形成を成し得ます。
その他にも、他人の気持ちを汲み取る力や、僅かな変化にも敏感に気がつく視点力を磨け、また美意識をも育みます。
心の豊かさを育むことは、年齢や人種、ジェンダーを問うものではなく、もちろん、場所を問うものでもありません。
幅広く、世界中の方々に向けてお箸と風呂敷の伝承を行うことで、日本人の誇りともいうべき「思いやり」や「他を想う心配りの文化」を教材として、「心の教育」の一役を担っていきたいと思っております。
日本は元来「木」の文化の国です。
かつて“割りかけの箸”と呼ばれていた、今でいう“割り箸”を始めとしたほとんどのお箸は、様々な木製品の端材や、森に光や空気を通すために行う間伐によって間引かれた木材から作られてきました。
ところが今や、割り箸の95%以上が海外製品となり、また日常使われるお箸にもプラスチック製のものが多く出回り、飲食店でもお箸は使いまわしをされるようになりました。
箸先が繊細に削られた杉や檜、竹などの木のお箸で食事をいただくと、木のぬくもりやしなやかさだけでなく、香をも一緒に味わうことができ、リラックス効果をもたらします。
また、指先や唇、舌から感じる触感により、食事はより美味しさを増します。
更には木によっては殺菌効果もあります。
一流の飲食店であればあるほど、厳選された割り箸が用意されているのには、こうした意味もあるんです。
ちなみに役目を果たし切った木のお箸は、元来土に埋めるなどして、自然に返してきました。
コンクリートで地面が埋め尽くされつつある現代において、なかなか土に戻すことは難しいかもしれません。
しかしそんな今でも、毎年8月8日に“箸感謝祭”若しくは“箸供養”としてお焚き上げをしてくださる神社やお寺が全国に数か所ございます。私たちに、沢山の命やご縁を運び、繋いでくれた大切なお箸ですから、お礼もきちんとしたいものですよね。
さて、このように、“木”のお箸を使ったり、割り箸を使い捨てたりすることは、決して勿体ない、粗末にしている行為ではなく、“きちんと使う”ことで守れる気候変動や海の豊かさ、そして陸の豊かさがあることを、私はお箸の伝承者として伝えていく責務があると思っています。
風呂敷がSDGsにおいて有効であることは多くの人が容易に想像できるのではないでしょうか。
風呂敷は紛れもなく、プラスチックやビニールで作られた袋の代用となるものであり、使いまわしができ、かつ多くの風呂敷が洗うことができることから、“エコなモノ”として度々注目を浴びます。風呂敷にはペットボトルの再生で作られたものも存在し、また、染色においても草木を用いるなど、所謂3R(Reduce(リデュース)、Reuse(リユース)、Recycle(リサイクル))ができる製品でもあります。
このように素晴らしい商品でありながら、なかなか世の中に浸透しない、その三大理由は「難しそう」「使い方や作り方がわからない」「売っている場所がわからない」であると、私は思っています。
でも風呂敷って、誰でもほんの2~3分のレクチャーで数種類の使い様ができるようになるほど簡単なんです。
「こうしないといけない!」というルールは殆どなく、使い勝手はアイデア次第で無限大です。
わざわざ新しく買わなくても、手元にある「四角くて丈夫な布」なら、なんでも風呂敷として使えるのです。
残念ながら昨今増えつつある災害時にも、役立つのです。
“モノやこころを大切に扱うこと”や包み結びという行為に込められた日本のこころの伝承はもちろんのこと、多くの方々に、身近に、便利にご利用いただけるよう、風呂敷の活用をお伝えしていくという地道な活動も、気候変動や海の豊かさ、そして陸の豊かさに繋がると信じて、私はこれからも活動していきたいと思っております。
私の扱う「お箸」や「風呂敷」は、全ての人類のこころの表現に至るアイテムであり、それについて学んだり、身につけたりすることは、年齢や性別、障害、人種、民族、出自、宗教、或いは経済的地位などによって妨げられたり、虐げられるものでは決してありません。
そうです。お箸や風呂敷を前にして、そこに不平等は存在しえないのです。
お箸や風呂敷は、どのような立場、境遇の人にあっても、平等に学べ、便利に使えるアイテムです。
お箸や風呂敷は、どのような立場、境遇の人にあっても、平等に、尊敬と感謝、命の有難みやご縁の尊さ、心配りの観点や、思いやりの心、ヒト・モノ・コトを大切に扱うことの大切さなどを育めるアイテムです。
「こころを育んでくれるアイテム、それがお箸や風呂敷です」
対象に枠を設けることなく、ひとりでも多くの人に、風呂敷とお箸を通じて、他を想うこころを伝承していくこと、それが私の責務であり、それをきちんと伝承できれば、世の中の不平等は少しずつ、減らしていけると信じています。